歌舞伎俳優の市川海老蔵(38)さんが9日、都内のホテルで会見を開き、妻の小林麻央(33)さんが「乳がん」であることを明かされました。
1年8カ月前に判明し、「大変スピードの早いがん」と進行性がんであることを医師から告げられたと話されています。
目次
1年8カ月前から闘病
びっくりしました、早朝、小林麻央さんの進行性がんの報道が駆け巡りました。
突然の報道で驚かれた人は多かったと思います。
小林麻央さんと言えば、2010年に結婚され、
2011年に長女の麗禾ちゃん、2013年には長男の勸玄くんを出産。
勸玄くんが生れるひと月前には、海老蔵さんの父、市川團十郎さん(享年66歳)が亡くなられてます。
そして、
2014年10月都内で「New Office」の発売記念イベントに出席され
姉の小林麻耶さんと3年半ぶりに姉妹共演されていますね。
今日の海老蔵さんの会見で、1年8カ月前に判明。とありましたが、
数えてみると、ちょうどこの共演した時期あたりに人間ドックを受けられ、
その後病名が判明したことになります。
トークの中で、
「来月は主人のシンガポール公演があるので…」と話されてますし、
その前に、海老蔵さんと人間ドックに入られたんじゃないかと思われます。
海老蔵さんの初めてのシンガポールでの公演ということで、
梨園の妻である麻央さんは、小さな子供の子育ての中、準備で大変だったと思いますが
1年8ヶ月前といえば、
この時点ではすでに「乳がん」だと判明していたということになりますよね。。。
梨園の妻の責任と使命とは
歌舞伎俳優に嫁いだ妻を「梨園の妻」といいます。
つい最近では、
歌舞伎俳優の片岡愛之助さんと、女優の藤原紀香さんですね。
結婚され、藤原紀香さんは「梨園の妻」になられました。
「梨園の妻」の仕事って何をするのかご存知でしょうか?
綺麗に着飾って、歌舞伎俳優の隣に座ってるだけだと思ったら大間違いです。
調べてみると、お相撲の世界とよく似てて“おかみさん業”といったらわかりやすいと思います。
夫の仕事を円滑に進めるための対外的な手配や、食事の心配り、
またはお給料の心配から盆暮れの付け届けといったお金やスケジュール管理。
夫の送り迎えなどもしなくちゃ行けないようです。
子供が生まれると、子育ても一緒にしなくちゃいけないし、
私たちが考えてる煌びやかな世界とは少し違うみたいですね。
そして、一番のプレッシャーは、後継である男の子を授かることなんじゃないでしょうか
跡継ぎを生んで歌舞伎役者に育てあげるという使命は想像以上に大変なことだと思いますね。
成田屋の看板を背負って育てていかなきゃならないんですよ。
1703年から続く歌舞伎役者の屋号「成田屋」
きますよね~心身共に…
女優で梨園の妻である富司純子さんは、ご長男を出産のとき
お医者様から「男の子です」と言われた途端、スッと意識が遠のいたほどほっとした。と語られています。
(富司純子「女優であること」関容子著)
それほど、跡継ぎを生むというのは大変なプレッシャーだということがわかります。。
世間一般の人からは想像もできないしきたりやマナーもありますし
特に“贔屓(ひいき)筋”と呼ばれるお客様との付き合いは、並大抵のことでは務まりません。
本当に大変な世界だと思いますね。
3歳に満たない勸玄くんの初お披露目
一般では1月1日がお正月で1年がスタートしますが、
歌舞伎というのは11月1日から1年がスタートするといいます。(11月~翌年10月まで)
なんでも「中国の周の時代には正月が11月1日だったため、江戸時代の歌舞伎界がそれにならい
陰暦11月を『芝居の正月』と決めた」というのが通説になっているらしいです。
そのため、11月は「今年1年間は、この役者たちで興行していきますので、よろしく御贔屓(ごひいき)のほどを!」というお披露目の「顔見世興行」と呼ばれる興業が執り行われます。
2015年11月の「顔見世興行」、芝居のお正月の幕開けです。
そこにわずか2歳8カ月の勸玄くんのお披露目をしましょうということになったんですね。
十一世市川團十郎のデビューは6歳、十二世市川團十郎のお披露目が7歳といいますから
いかに早いお披露目だったかと言うことが分かります。
梨園の妻である麻央さんの仕事は、さらに苛酷になってきます。
この時期はすでに闘病中だった訳ですから…
ではなぜ、そこまで急いだのか、強行突破となったのか。といいますと
2015年は十一世市川團十郎が56歳でなくなってから、
五十年という節目の年だったということです。
そして、「新しく開場した歌舞伎座で、十一世市川團十郎の五十年祭を執り行う」ことは、
2013年に亡くなった父、十二世市川團十郎の悲願でもあったようです…
・2015年11月は 「芝居のお正月」であるということ。
・十一世市川團十郎の五十年祭にもあたるということ。
・十二世市川團十郎の悲願でもあったということ。
十一世市川團十郎から見ればひ孫にあたる勸玄くん
十二世市川團十郎から見れば孫にあたる勸玄くん
こういった点と線をむすんでいくと、
3歳に満たない勸玄くんのお披露目を2015年の11月(歌舞伎のお正月)にしたいというのは、
ごく自然な流れだったのかもしれません。
しかし、闘病中の麻央さんにとっては、
あまりに大きな行事が重なってしまうことになってしまいました。
将来を期待されてた人気キャスターから梨園の妻へ。
歌舞伎界のしきたりやマナーなど、結婚して、覚えることは山ほどあったでしょう。
やがて、子供が生まれると子育てや跡継ぎの問題、
やんちゃな海老蔵さんのお世話、
わずか2歳の勸玄くんの初お披露目。しかも約1ヶ月も続く。
私に出来るだろうか、
親として、わずか2歳の息子の初舞台を最後までそばにいて支えることが出来るだろうか。
休むか、行かないか行くかということでもずいぶん悩んだ挙句、勸玄くんのお披露目のため、病院から抜け出し、覚悟をきめて25日間の初お披露目に臨んだそうです。
一般的に早期がんの場合は、がんの症状はあまり出ないということになります。
だから、定期的に検診を受けないとみつからないそうです。
しかし会見で海老蔵さんは人間ドックは、二人でよく受けていたと話されてますし、
健康にはお二人とも人一倍気を付けられていたと思います。
でも、疲れやストレスで免疫力が落ちると
ガンが忍び込んでくるんです。
進んでくると、神経、骨に転移とかなると、痛みだとか出血があるとかの症状が出てきます。
進行がんは初めて症状が出てくる頃には、かなり進んでいる状態になるので、なかなか治療が難しくなるといわれています。
私は思うんですが、
麻央さんは、忙しすぎました。
結婚して6年、発病までだと4年ほどですよね。
書いてはいませんが、海老蔵さんの暴行事件もありましたし、
ホント色々ありすぎましたね。
親としての悩みや
梨園の妻としての苦労やプレッシャーは相当なものだったと思います。
抗がん剤には効く人と聞かない人がいて、
麻央さんは現在、自分に合う抗がん剤を探しながら、手術に向けて頑張って戦っておられるようです。
がんが小さくなって、手術が成功してくれることを願っています。
そしてまたあの可愛い笑顔を見せてくれることを待っています。
追加記事:2017年6月23日
小林麻央さんが2017年6月22日に亡くなられました。
ここに心よりご冥福をお祈りいたします。
→ 小林麻央さん(34歳)死去!壮絶がん闘病の末お別れの言葉は「愛してる」
まとめ
麻央さん、小さな子供の一番大事な時に、そばにいてあげられないことをとても申し訳なく思っていらっしゃるようですが、元気になることが先ですから、合う抗がん剤が見つかって手術も成功してほしいですね。海老蔵さんも家族のために頑張ってほしいですし、マスコミもそっと見守ってあげてほしいと思います。