七夕と言えば織姫と彦星。
笹の葉に願い事を書いた短冊を付けて飾ります。
さーさーのーは さーらさら のきばにゆれる
おーほしさま きーらきら きんぎんすなご
毎年の恒例で何気なくやっている人も多いと思いますが
七夕の由来や行事についてまとめてみました。
目次
■七夕の由来は?
七夕のもとは「棚機(たなばた)」とされ、
旧暦の7月15日に、家に戻ってくる祖先の霊のために選ばれた乙女が
祖先に着せる着物を織って神棚にお供えする神事でした。
やがて日本に仏教が伝わると、7月15日は あの世の霊を沈める盂蘭盆(お盆)という行事になり
棚機(たなばた)はお盆を迎える準備として7月7日の夜に行われるようになったそうです。
現在「七夕」を“たなばた”と当て字で読む意味はここからきているといわれています。
丁度そのころ(旧暦の7月7日)は、天の川を挟んで
ベガ(織女星 しょくじょせい)とアルタイル(牽牛星 けんぎゅうせい)が光り輝くため
中国では二人が愛を語らっているという七夕伝説がありました。
結婚してからは、二人は毎日遊んで暮らしていました。織女が機を織らなくなったので、神様たちの着物は擦り切れてぼろぼろになり、牽牛が牛の世話をしなくなったので、牛はやせ細り、病気になってしまいました。
これに怒った天帝は、二人を天の川の両岸に引き離してしまいました。しかし、二人は悲しみのあまり毎日泣き暮らし仕事になりません。可哀想に思った天帝は、二人が毎日真面目に働くなら、年に一度、7月7日の夜に会わせてやると約束しました。
※日本では織女のことを“織姫(おりひめ)”、牽牛のことを“彦星(ひこぼし)”と呼んでいます。
この説話は日本人の心をとらえ、元にあった機織り乙女の行事と結びついて
織姫と彦星の悲しい恋物語として、日本独特の発展を遂げていくことになります。
これが七夕の由来ですが、中国では7月7日に織物や針仕事の上達を願う
乞巧奠(きこうでん)という風習があり、
笹の葉に使われる五色の短冊は、乞巧奠(きこうでん)で行う
「金銀7本の針に五色の“願いの糸”を通す」という風習からも来てるそうです。
■笹はどこで買うの?
七夕の時期になると、どこの花屋さんにも笹が売ってあると思います。
だいたい2~3mのもので500円程度です。
笹の葉っぱは数日で枯れてしまいますので、通販は難しいようですね。
本物がほしければ、山を持っている人に分けてもらったり、
土手や川原、空き地などから少々失敬して来るのが速いと思います。
手にしたらすぐ短冊や笹飾りをしてください。
■七夕飾りのしまい方(処分)は?
七夕の笹飾りは江戸時代頃に庶民に定着し、昭和までは笹を軒先に飾った後、
七日の夜に軒先から下ろし、川や海に流していました。
近年は環境問題もあり汚染防止のためこうした「七夕送り」は少なくなり、
地域によっては、「どんど焼き」のように、七夕飾りを集めて燃やす所もあるようです。
また、可燃ごみや燃えるゴミとして処分する家も多くなりました。
しかし、子供たちが思いを込めて書いた短冊や七夕飾りを
ポイとゴミとして捨てるのが忍びないのであれば
お焚き上げとして、神社で炊き上げてもらってもいいでしょう。
■硯洗いって何?
硯洗い(すずりあらい)とは、七夕を迎える準備として旧暦七月六日に行われる行事。
七夕の日には5色の短冊に願い事を書くということから、
その準備のために、旧暦の7月6日の夜に、硯や筆をきれいに洗い
机の周りを整頓するというのが「硯洗い(すずりあらい)」の行事です。
学問の上達を祈る行事で、学問の神様である天神様にまつわる行事のひとつとされています。
洗い清めた硯に梶の葉を添えて供えた北野天満宮(京都府)の神事がその原型であるとされています。
まとめ
織姫と彦星の七夕伝説って素敵ですね。私の故郷長崎ではお盆に「精霊流し」という行事があり「七夕送り」とよく似ています。旧暦の7月7日は、今でいう8月の中旬になりますから、
織姫と彦星が出会えるのはまさに「お盆」と言うことになるようで、真菰(まこも)の葉で「七夕馬」を作る風習も
お盆の「精霊馬」に通じるものがありますね。今年も星を見ながら願い事を書いて風流な行事を楽しみましょう。