人が亡くなると、初七日から始まって多くの法要がありますが、何故こんなにたくさんの法要をしなくてはいけないのでしょう。当たり前のように行っている仏教の儀式ですが、その意味までよくわかっていない人は多いのではないでしょうか。
今回は法要と法事の違いや意味、時期や数え方、読み方についてまとめてみました。
母が亡くなり丸三年が過ぎました。亡くなった際は葬儀後に初七日を行い、
それから四十九日の忌明けまでずいぶん忙しかったという記憶があります。
翌年には一周忌、その翌年には3回忌も終わり、月日が経つのは本当に早いものです。
この記事では、法要と法事の違い、法要の意味や時期と数え方、読み方についてまとめています。
目次
■法要と法事の違いは?
「法事」と「法要」はよく似た言葉ですが正確にいうと微妙に違いがあります。
・お経をあげてもらう供養の儀式部分を「法要」
・供養の後席の食事などを含めたものを「法事」
「法要」と「法事」を同じような意味合いで使ったり聞いたりしている人は多いと思いますが、
「法要」という言葉は経を読んでもらうなどの供養の儀式部分をいい、「法事」はその法要やその後に併せて行う食事などを含めたものを意味します。
ちなみに法要の後に、施主が列席者を招待して行なう会食の場を「お斎(おとき)」と呼びますが
同じ会食にしても四十九日法要後のお斎(おとき)のことを「精進落とし」と呼びます。
しかし現代における「精進落とし」の用法は少し違ってきているようです。
初七日法要(本来は死後7日目に行うものですが、現代ではほとんどの地域で火葬場から戻った後に行う)の際に、僧侶や世話役などの労をねぎらう宴席において食事が行われることが多いのですが、この食事を「精進落とし」と称することが一般的となっているようです。
母の時も、葬儀が終わってからの宴席での食事を「精進落とし」と呼んでいました。
忙しい現代人のライフスタイルに合わせ、昔からの儀式も少しづつ変わってきてるようです。
■法要は何故たくさんあるの?
仏教の儀式である法要ですが、本当にたくさんありますよね。
生きてる時にも人生の節目節目では多くの儀式がありますが、亡くなった後にも残された家族には多くの儀式が待っています。
そういうことで、法要がなぜ多くあるのかを解説します。
仏教では死者の魂は死んでから七日ごとに七回の審判を受けるといわれています。それまで死んだ人の霊魂は生と死、陰と陽の間に漂っていて、この期間を「中陰」または「中有」といいます。
中陰の間は、閻魔大王による裁きが七日おきに実施され、
極楽浄土へ旅立てるか否かの判定が下されるのが四十九日目にあたり、この日が「忌明け」になります。
つまり、初七日から四十九日までは、
霊が極楽浄土へ行くか地獄へ行くかの閻魔様の裁判期間と言うことになります。
誰もが故人には極楽浄土に行ってほしいと願います。
遺族は七日おきの裁きに合わせて忌日法要を営み、故人の冥福をひたすら祈り極楽浄土に行けるように、故人に善を送る(追善)法要を営むのです。
そして四十九日は満中陰(まんちゅういん)といい、死後の行き先が決まる大事な日。
僧侶の読経が行なわれた後、家族・親族・知人などで焼香や会食の場「お斎(おとき)」をします。
このように初七日から始まり、ニ七日(ふたなのか)、三七日(みなのか)、四七日(よなのか)、五七日(ごなのか)、六七日(むなのか)、七七日(なななのかの49日)の忌明けになるのですが、現在はかなり省略されているようです。
※地域によっては、五七日(ごなのか)が忌明けとなる場所もある
法要が多い家は発展するともいわれますが法要にもお金がかかります。
お金がある発展した家だからこそ法要も執り行えるといえるのかもしれません。
■法要の時期と数え方や呼び方は?
仏教では法要を行う日が決まっています。
死後七日ごとに四十九日まで行う忌日法要(きびほうよう)と、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌などの年忌法要(ねんきほうよう)です。
初七日(しょなのか)死後7日目
亡くなってから初めての法事。三途の川の緩やかな所を渡れるようにと願うものです
読経の後、家族・親族・知人などで焼香や「お斎(おとき)」を行ないます。
現在は地域によっても違いますが、「初七日」は告別式と同日に済ませてしまう場合が増えています。
二七日(ふたなのか)死後14日目
僧侶の読経や焼香については省かれ、遺族のみで行います。
三七日(みなのか)死後21日目
僧侶の読経や焼香については省かれ、遺族のみで行います。
四七日(よなのか)死後28日目
僧侶の読経や焼香については省かれ、遺族のみで行います。
五七日(ごしちにち・ごなのか)死後35日目
僧侶の読経や焼香については省かれ、遺族のみで読経して行われるのが通例です。
六七日(むなのか)死後42日目
僧侶の読経や焼香については省かれ、遺族のみで行います。
七七日(なななぬか)=四十九日(しじゅうくにち) 死後49日目
僧侶の読経が行なわれた後、家族・親族・知人などが焼香やお斎(おとき)を行ないます。
この日を忌明け法要ともいいます。
本位牌を仏壇に、そして白木の位牌を菩提寺に納める作業を行ないます。
※この日に納骨となる場合が大半のようです。
百か日 死後100日目
僧侶の読経や焼香については省かれ、家族・親族などが読経して供養します。
七七日と兼ねて行うこともあります。
そして、この日以降は、年忌法要になります。
年忌法要は極楽浄土に行った故人がさらなる精進の道へと導くために営むとされています。
一周忌 死後1年目の祥月命日
僧侶の読経が行なわれた後、家族・親族・知人などが寺や自宅で焼香やお斎(おとき)を行います。
三回忌 死後2年目の祥月命日
僧侶の読経が行なわれた後、家族・親族・知人などが寺や自宅で焼香やお斎(おとき)を行います。
一般的には家族・親族で供養しますが、知人を招くこともあります。
七回忌 死後6年目の祥月命日
家族・親族・親しい知人で供養します。
七回忌以降は親族の中で同じ年に法要が行われる場合、まとめて行ってもいいそうです。
通常、この七回忌あたりから法要の規模がちいさくなってゆきます。
十三回忌 死後12年目の祥月命日
家族・親族の内輪だけで供養します。
十七回忌 死後16年目の祥月命日
家族・親族の内輪だけで供養します。
二十三回忌 死後22年目の祥月命日
家族・親族の内輪だけで供養します。
省略されるケースもあります。
二十七回忌 死後26年目の祥月命日
家族・親族の内輪だけで供養します。
省略されるケースもあります。
三十三回忌 死後32年目の祥月命日
家族・親族の内輪だけで供養します。
食事の準備をして列席いただいた方をもてなします。
一般的には「弔い上げ」といい、この法要を最後とします。宗派によっては50回忌を最後の法要とするばあいもあります。
三十七回忌 死後36年目の祥月命日
五十回忌 死後49年目の祥月命日
百回忌 死後99年目の祥月命日
以上!法要は故人を偲び、冥福を祈るためのもの。
この世に残された者は故人があの世でよい報いを受けてもらうために行うものとされています。
忌日・年忌法要の計算は下記のサイトを参考にしてみてください。
→ 忌日・年忌法要計算
人と人とのつながり、故人への感謝の思いを確認し、自分自身を見つめ直す場でもありますね。
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まとめ
法事は亡くなった方を偲ぶ機会なので、きちんと行いたいものです。初七日から四十九日までは、霊が極楽浄土へ行くか地獄へ行くかの閻魔様の裁判期間といわれ、「中陰」または「中有」といいます。
そして四十九日は満中陰(まんちゅういん)といい、死後の行き先が決まる大事な日。僧侶の読経が行なわれた後、家族・親族・知人などで焼香や会食の場「お斎(おとき)」をします。またこの日を忌明けともいいます。
七回忌からは法要の規模は徐々に小さくしていくのが一般的です。宗派や地域によっても違いがあるようですが、一般的には死後32年目の三十三回忌を「弔い上げ」といい、この法要をもって最後となります。