3月3日はひな祭りで『上巳の節句』といい、暦の上で、縁起が良い日とされる奇数が重なる日『五節句』のひとつです。
女の子の成長を祝ってひな人形を飾る行事ですが、今回は五節句の意味とひな祭りの起源や流し雛についてまとめてみました。
目次
■五節句とは
五節句(ごせっく)がわからない方のために、調べてみました。
<五節句>
1月7日 人日(じんじつ)
3月3日 上巳(じょうし)
5月5日 端午(たんご)
7月7日 七夕(しちせき)
9月9日 重陽(ちょうよう)
“ 五節句の「節」というのは、唐時代の中国の暦法で定められた季節の変わり目のことです。
暦の中で奇数の重なる日を取り出して(奇数(陽)が重なると 陰になるとして、それを避けるための避邪〔ひじゃ〕の行事が行われたことから)、季節の旬の植物から生命力をもらい邪気を祓うという目的から始まりました。
この中国の暦法と、日本の農耕を行う人々の風習が合わさり、
定められた日に宮中で邪気を祓う宴会が催されるようになり「節句」といわれるようになったそうです。”
出典:https://kotobank.jp/word/五節句-501876
縁起が良いとされる奇数が重なる『五節句』は特に重要視されてきました。
五節句は、穢れを祓う重要な節目の行事として
現在まで受け継がれています。
五節句は奇数が重なる日が選ばれていますが、
1月だけは1日(元旦)を別格とし、7日の人日(じんじつ)を五節句の中に取り入れられています。
その理由として、
古代中国では正月一日を鶏、二日を狗(犬)、三日を猪(豚)、四日を羊、五日を牛、六日を馬の日とし
それぞれの日にはその動物を殺さないと定めていました。
そして七日を人の日(人日)として 人を殺さない日とし
犯罪者を刑罰しない日と定めていたそうです。
それが後に日本に伝えられ一月七日が人を大事にする日となり、
七草の若葉を摘んで食べる事で、無病息災を祈る日になったのだと伝えられています。
3月3日の上巳は、3月に入って最初の巳の日を指し、
この時期、桃の花が咲くことから「上巳の節句」は「桃の節句」とも呼ばれています。
■ひな祭り・流し雛の起源は?
「雛祭り」の起源説は複数あるといわれています。
そのひとつ、平安時代の京都では、既に平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていたとする記録があります。
その当時においても、やはり小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾り、
初めは儀式ではなく遊びであり、雛祭りが「ひなあそび」とも呼ばれるのはそのためともいわれています。
江戸時代になると、庶民にも伝わり、女の子がいる家ではこの時期にひな人形を飾り、
白酒や桃の花を供えてお祝いするようになりました。
次第に3月3日に女の子のお祝いの儀式として人形を飾るしきたりが定着していったといわれています。
また、中国から伝わったとされる説では、
昔、漢の時代の徐肇(じょちょう)という男おり、3人の女児をもうけたにも関わらず、3人とも3日以内に死んでしまいました。
その嘆き悲しむ様子を見た同じ村の人たちが酒を持ち、3人の女児の亡骸を清めて水葬したことに由来しているとされています。
それが平安時代になると、「上巳の祓い」といって、3月3日に陰陽師を呼びお祓いをさせ、
自分の身に降りかかる災難を自分の生年月日を書いた紙の人形(ひとがた)に移らせて川に流しました。
出典:www.kanshundo.co.jp/museum/saijiki_yogo/hina01.htm
このように上巳の日は忌日(いみび)とされ、不浄、邪気、穢れなどが
襲ってくる日といわれてきました。
そんな災難を避けるために、中国では川に入り身を清める習慣(禊)があり
これが日本に入ってきたとされています。
そのあと、紙や布で作った形代(かたしろ)と呼ばれる人形で体をなでて穢れを落とし、
川に人形を流して災難、厄難を祓う「流し雛」という風習が定着していったとされています。
「ひな祭り」は平安時代の貴族階級の子女が人形で遊ぶ「ひいな祭り」という、
ままごとに近い人形遊びと、厄難を祓う「流し雛(災難除けの守り雛)」が結びついた祀りと言えるでしょう。
参考書籍:暮らしのしきたり十二か月 / ウイキぺディア
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まとめ
日本には「五節句」という行事があり、季節の節目に身の穢れを祓い、健康長寿や厄除けを願う風習がありますが、ひな祭りの起源は平安時代の貴族階級の子女が人形で遊ぶ「ひいな祭り」というままごと遊びと、中国から伝わったとされる災難除けの守り雛が起源とされているようです。昔は紙や布で作った川に流した「流し雛」だと伝えらえていますが、やがて一般社会にも広がり、今のような雛飾りになっていったようですね。